川崎市高津区、津田山の頂上付近にある築57年の住宅。
日本女性初の建築家・浜口ミホ氏が設計した、現存する唯一の建築物である。
前川國男氏を師匠とする彼女は、台所の配置を裏方から表舞台へと移動させたダイニングキッチンの生みの親とも言われている。著書に住生活様式の近代化を綴った『日本住宅の封建制』があり、日本の住宅に新しい風を吹き込んだ。
当建物も彼女の理念が強く反映されており、庭との関係性・家族の繋がりを大切に、ダイニングキッチンを中心とした動線設計がされている。モダニズムの要素とともに、時を経た味のある表情も見せる。
そんな歴史的価値のある住宅に5人の家族が移り住むことになった。
この地に根付く建物になるよう、名称を「津田山の家」とした。
基本的には同じ間取り・用途のままお使いいただくことになった。
建物のイメージを変えないよう、木製の格子窓やアルミサッシなどは極力残した。現行では製造終了した特徴的なタイルは、タイルメーカー研究所協力のもと欠損した部分を再現。
むやみに新しく作り変えるのではなく、浜口が遺した建物の要素をリスペクトして、築古建物と上手に付き合い生きていくための”整える”リノベーションを行った。
改修後、以前の住まい手にもお越しいただいた。蘇ったかのようなその姿に涙されたという。
この家がこれからさらに美しく年を重ねていくことを願う。
BEFORE
以前の住まい手は山好きで、山小屋をイメージするような素材使いやディティールを擁している。表層のデザインと共に地階がRC造で1階2階が木造かつ、GLレベルから1m上がったところが1階の床、いわゆる高床式=木造住宅の大敵である湿気の影響を受けづらい構造であるのも、彼女の意匠を可能な限り継承できた所以である。一方で耐震、断熱性能の改修工事は必然的であった。地下のRC造部分は既存の開口部を塞ぐことなく2枚のコンクリート壁で耐震補強を行い、木造部分は構造用合板張りや金物補強で現行基準法レベルを満たす壁量と耐力を確保。発泡ウレタン吹付工法で建物全体の断熱、気密性も高めた。着工前の近隣挨拶は住まい手とともに行った。入居後しばらくして、近隣住民からこの景色が続くことに感謝を伝えられたそうだ。継承はハード=建物だけでなく、ソフト=その土地に生きる人、街並みをも守りつないでいくものだと、私たちはそう考える。