それでは、前記のBeforeのコンセプトに従って、諸時を進めます。
熊本地震による影響で地盤沈下があり、地元自治体の補助事業により、地盤補正・建物基礎改良を行いました。建物全体の強度・耐久性に対して、現代の診断では、耐震強度が著しく低く、古代建築を専門とされる構造設計士さん御指導の元、最新の技術で寺社仏閣に使われる補強を実施、地震に対しても十分な強度・耐震性を確保しました。更に変形の激しい部材を入れ替えたり、劣化の著しい部材には鉄骨の腐食の補強に使われる材料を使いました。この様な工事により復元された「益雪まるとしハウス」ですが、近年周辺地域の保全・復元運動が活発になり、行政としても昔の街路を取り戻し、新しい地域の町興しの為少しずつ取り組みが始められています。今回の物件は、前面が街路・背面が城の堀からの河川であり、古地図にある昔の街道や廻船の往来が頻繁であった情景を彷彿とさせる環境になりました。
早速7月には入居希望のオファーが入り、現在女性専用鍼灸・エステ店と郷土の民芸品を展示して川を眺めながら過ごして頂く喫茶店が営業されています。
オーナー様のお住いの前の物件ですので毎日眺めながら、そこに出入りする人々を見て、御先祖様方が見られた風景を満足して眺めておられます。今後も同じ街路に数軒の物件をお持ちですので、引き続き継続して施工する事となっております。
BEFORE
この建物は熊本に残る戦国時代の多くの町屋の1つであり、約200年前の物とされます。加藤清正統治の城下町形成の一翼を担ったこの地域は、寺院を中心とする12㎞四方の街路の1つであります。この地には豊臣秀吉の命で加藤清正の海外隣国出兵の折もたらされた練り物(所謂、蒲鉾・竹輪・天ぷら)職人が住まい兼商い所として営みを成していました。時代と共に忘れ去られ様としていましたが、住み続けたその末裔達によって、復元して新たな町造りをしたいと言う、達ての願いに縁あって携わる事となった次第です。肥後細川忠興翁入城の際、家臣として町屋を受け持った大工の8代目の子孫に当る私が、今回の縁に触れるのも何かの御縁があるのでしょうか。今回のリノベーションに着工の為に、次の事をコンセプトに進めました。①熊本地震による影響➁雨漏れによる被害③部材の劣化と強度④建物全体の強度・耐久性➄再利用の可能性と展開⑥オーナー様の満足度