旅館落成 佳賓宿泊ノ需メニ応ズ

戸建  /   エリア:新潟県  /   掲載日:2026-08-31

戸建  /   エリア:新潟県

掲載日:2026-08-31

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「病室落成 入院治療ノ需メニ応ズ」
大正五年、佐渡新聞にこの家の広告が載った。外科医・児玉喜平治が創設した児玉医院、佐渡で入院可能な三医院の一つである。

家には一枚の板が残っていた。「板図」。医院棟・診療棟・台所棟・座敷棟の平面と起工時期、柱や梁の番付までが記された、大正二年の設計図である。増築を重ねてこの形になったのではない。一人の医師が、五棟の建物を最初からこの規模で建てると決めていた。だから私たちはこの工事を「再生」ではなく「続きを書く」と呼んだ。

基礎の無い石場建、伝統構法・土塗壁という特性を踏まえ、耐震と制震を併用。制震ダンパー29本により、層間変形角を1/9から1/30まで改善した。意匠を犠牲にせず、見えないところで建物を守る選択である。

医院棟はレストランと客室へ、座敷棟は客室へ。本座敷・小座敷の欄間や床の間はそのまま残し、洋館は最初期の色を再現した。板図の番付は尊重し、動線は当時の間取りをなぞる。宿泊客とレストラン客の動線も分けて計画した。

時代は変わっても、棟の輪郭は消していない。「診療場」と呼ばれた部屋は、いま客室である。佐渡の人口は減り続け、古い建物は使われなくなれば消えていく。だがこの家は、いまの時代に合わせて使い続けることができた。
現在、登録有形文化財として申請を進め、板図の余白を埋めていく。

BEFORE


before image

大正二年(1913年)創設、旧児玉医院。
医院棟・診療棟・台所棟・座敷棟・土蔵からなる建物群である。
当時、佐渡島内で入院設備を持つ医院は三つだけで、平成12年発刊「金井を創った百人」には「島内の医療において先駆的な役割を果たした」と記す。 医院が閉じたあと、建物は長く使われないままだった。平成28年、一級建築士事務所アトリエ緑により現況調査を実施。
全36ページの報告書に、柱傾斜状況説明図、亀裂状況説明図、復原平面図が収められた。
この調査で板図が見つかり、一連の建物群が当初計画に基づいて建てられたことが判明する。
この建物で最も特徴的なことは、洋館と日本家屋が一体として計画され、屋内の連続した廊下で繋いでいる点である。
ただし、現状はピンクで塗装された外観、塗料は剥げ、庭は草に覆われ、下見板は褪せ、雨漏りの跡が残り、柱は傾き、土壁は落ちていた。

Before

After

    • 部門
    • 無差別級
    • 間取り
    • 宿泊5部屋
    • 費用
    • 5400万円(税込)
    • 形態
    • 自由設計リノベ
  • 性能向上リノベ 実施
  • <断熱性能>天井壁床に断熱材を入れ、ペアサッシに更新
  • <耐震性能>層間変形角1/30
  • 費用に含まれるもの
  • 家全体 / 水まわり / 居室・その他 / 屋外 / 耐震補強 / 断熱改修 / その他
  • 施主支給設備(費用に含まれないもの)

物件情報


    • 築年月
    • 1913年5月
    • 構造
    • 木造
    • リノベーション面積
    • 488.67
    • 施工期間
    • 8カ月
    • 備考

CREDIT


  • 歴史背景資料:アトリエ縁 清水徹
  • 施工:株式会社ミライエ
  • デザイン監修:今井博康
  • 照明計画:平田良
  • 制震ダンパー:江戸川木材 Hiダイナミック制震工法